貝原益軒『菜薬』:野菜の薬効を説いた江戸の知恵
はじめに
貝原益軒といえば『養生訓』が有名だが、食と健康に関する著作はほかにも多い。『菜薬』は、日常的に食べる野菜や山菜の薬効を解説した実用書で、「食べることは治療の始まりである」という食養生の思想が凝縮されている。現代の料理人がこの書を読むと、食材選びの基準に新たな視点が加わる。
野菜を薬として見る視点
『菜薬』では、大根、蕪、牛蒡、蓮根、葱、生姜、紫蘇など、現代の厨房でも日常的に使う野菜が薬効とともに紹介されている。たとえば大根は「消化を助け、気を下ろす」とされ、生姜は「寒気を散じ、胃を温める」と記される。これは現代の栄養学とも大きく矛盾しない。大根に含まれるジアスターゼが消化を促進すること、生姜のジンゲロールが血行を促進することは科学的に実証されている。経験知と科学が一致する好例だ。
旬と薬効の関係
益軒は野菜を食べる季節にも注意を払っている。旬の野菜はその季節の体調を整える力があるという考え方だ。冬の根菜は体を温め、夏の瓜類は体を冷やす。これは現代の薬膳の基本理論とも共通する。料理人として旬の食材を選ぶ理由は、味の良さだけではない。季節と体の関係を意識した食材選びは、食べる人の健康を預かる者としての責任でもある。
調理法と薬効の変化
興味深いのは、調理法によって薬効が変わるという記述だ。生で食べるのが良い野菜と、加熱したほうが良い野菜が区別されている。たとえば蕪は生では体を冷やすが、煮ると温性に変わるとされる。これは現代の調理科学でも説明できる部分がある。加熱によって成分が変化し、消化吸収の効率が変わるのは事実だ。料理人が火入れの加減にこだわるのは、味だけでなく、食材の性質そのものを変える行為だからだ。
おわりに
貝原益軒の『菜薬』は、食材を味覚だけでなく体への作用という視点で捉え直す一冊だ。料理人は美味しいものを作るのが仕事だが、食べる人の体のことまで考えて初めて一流だと思う。江戸の知恵は、現代の厨房にも十分に活きている。