はじめに

慶長8年(1603年)、イエズス会の宣教師たちが長崎で刊行した『日葡辞書』は、日本語をポルトガル語で説明した辞書である。約32,000語を収録したこの辞書には、当時の日本の食に関する語彙が豊富に含まれている。外国人の目を通して記録された戦国末期の食文化は、日本人自身が書いた料理書とはまた異なる発見をもたらしてくれる。

味覚の言葉

『日葡辞書』には「うまい」「まずい」「あまい」「からい」「しぶい」といった味覚表現が収録されている。興味深いのは「うまみ」に相当する独立した項目がないことだ。「うまい」は「美味」として記録されているが、現代の料理人が使う「旨味」という概念が明確に言語化されるのはずっと後のことになる。だしの文化は当時すでに存在していたが、それを味の一要素として抽出する発想はまだなかったのだろう。

食材と料理名

辞書には「とうふ」「みそ」「しょうゆ」「さけ(酒)」「もち」「すし」など、現代にも通じる食の語彙が並ぶ。宣教師たちの説明文が面白い。たとえば「味噌」は「米と大豆と塩から作る一種のペースト」と説明されており、発酵という概念を持たなかった西洋人の視点が反映されている。また「すし」は「魚を飯とともに漬けたもの」と記されており、握り鮨ではなくなれ鮨が主流だった時代の姿がわかる。料理人として、自分が日常的に使っている食材が400年前にどう理解されていたかを知るのは新鮮だ。

南蛮料理の痕跡

宣教師たちは日本の食を記録するだけでなく、自分たちの食文化も持ち込んだ。「テンプラ」「カステラ」「ボーロ」といった南蛮由来の食語もこの時代に日本語に入った。天ぷらの語源がポルトガル語の「テンポーラ(四季の斎日)」にあるという説は有名だが、油で揚げる調理法が本格的に広まったのはこの時期以降だ。現代の揚げ物技術の出発点がここにある。

おわりに

『日葡辞書』は辞書でありながら、戦国時代の食文化の貴重なスナップショットだ。異文化の目で切り取られた日本の食は、我々自身の食文化を客観的に見つめ直す鏡となる。料理人として、自分の仕事の歴史的な根を知ることは、日々の仕事に奥行きを与えてくれる。