万葉集の食:古代日本人の食卓を詠む
はじめに
奈良時代に編纂された『万葉集』は、日本最古の歌集として知られるが、その中には食に関する歌が数多く含まれている。全4500首余りの中から食材や食事の情景を詠んだ歌を拾い読みすると、1300年前の日本人の食卓が鮮やかに浮かび上がる。料理人の目で読むと、素材への敬意と季節感覚が現代の日本料理と地続きであることに気づく。
海の幸を詠む歌
万葉集には鯛、鮑、海藻など海産物を詠んだ歌が豊富だ。志賀の海人が鮑を採る歌や、堅魚(鰹)を干す浜辺の情景は、当時の水産加工の様子を伝えている。特に注目すべきは「堅魚」の記述で、鰹を干して保存する技術がすでに奈良時代に確立していたことがわかる。これは後の鰹節へと発展する技術の原型だ。現代の日本料理で出汁の基本となる鰹節の歴史が、万葉の時代まで遡れることは、料理人として感慨深い。
山の幸と季節の味覚
山菜や野草に関する歌も多い。蕨(わらび)、芹(せり)、蓬(よもぎ)といった春の山菜を摘む歌は、季節の到来を食で感じる日本人の感性を示している。大伴家持が越中で詠んだ歌には、春の野に出て若菜を摘む情景がある。料理人の立場から興味深いのは、これらの山菜が現代の日本料理でも春の献立に欠かせない食材であることだ。1300年間、日本人の春の味覚はほとんど変わっていない。旬を大切にするという感覚は、万葉の時代から連綿と受け継がれてきたものなのだ。
おわりに
万葉集を食の視点で読み直すと、古代日本人がいかに自然の恵みに敏感であったかがわかる。彼らは食材を単なる栄養源としてではなく、季節を感じ、歌に詠むほどの文化的対象として捉えていた。この感性は、盛り付けに季節の葉をあしらい、器で季節を表現する現代の日本料理に脈々と受け継がれている。料理とは技術だけではなく、自然と人との関係性の表現なのだと、万葉集は教えてくれる。