はじめに

元禄10年(1697年)、医師の人見必大が著した『本朝食鑑』は、日本の食材を網羅的に解説した食物百科事典である。全12巻に収録された食材の数は膨大で、それぞれに味、性質、効能、調理法が記されている。料理人の立場からこの書を読むと、江戸中期の人々が食材に対していかに深い観察眼を持っていたかに気づかされる。

食材観察の精密さ

『本朝食鑑』の最大の特徴は、食材一つひとつに対する記述の緻密さだ。たとえば米の項では、産地による味の違い、炊き方による食感の変化、さらには古米と新米の使い分けまでが論じられている。私が日々の仕込みで実感していることが、300年以上前にすでに文字として残されていることに驚く。また魚介類の項では、季節ごとの脂の乗り方や、鮮度の見極め方が具体的に書かれており、現代の魚河岸での目利きの基準と重なる部分が多い。

医食同源の思想

人見必大は医師であったため、本書には食材の薬効に関する記述が豊富だ。大根は「気を下し、食を消す」とあり、これは現代の栄養学でいう消化酵素ジアスターゼの働きと合致する。生姜については「寒を散じ、嘔を止む」と記され、制吐作用は現代医学でも認められている。料理人として興味深いのは、こうした薬効の知識が献立構成に直結していた点だ。天ぷらに大根おろしを添える、刺身に生姜を添えるといった組み合わせは、経験則と医食同源の思想が融合した結果なのである。

おわりに

『本朝食鑑』は単なる食材図鑑ではなく、日本人の食に対する知的営みの集大成だ。現代の料理人がこの書を読む意義は、食材の知識を得ることだけにとどまらない。一つの素材を多角的に観察し、理解しようとする姿勢そのものが、良い料理を生み出す土台になる。食材と真摯に向き合い、その本質を知ろうとする探究心こそが、時代を超えて料理人に求められる資質なのだと、この古典は教えてくれる。