はじめに

日本料理の献立で、食事の最後に出される果物を「水菓子」と呼ぶ。この言葉が示すように、かつて果物は菓子と同等の贅沢品だった。江戸時代の果物事情を見ると、現代とは全く異なる果物の姿が浮かび上がる。

水菓子という言葉の背景

「菓子」という漢字はもともと「果物」を意味していた。古代において甘味といえば果物であり、木の実や干し柿が最上の甘味だった時代が長く続いた。砂糖が普及して練り菓子や焼き菓子が登場すると、それらが「菓子」の主役となり、果物は「水菓子」と呼ばれるようになったのである。

江戸で食べられていた果物

江戸時代に庶民が口にできた果物は限られていた。西瓜、梨、柿、蜜柑、枇杷、桃、葡萄などが主なもので、いずれも現代の品種とは大きく異なる。当時の西瓜は今より小ぶりで種が多く、甘味も控えめだった。梨も水分は多いが酸味が強く、現代の甘い品種とは別物である。

特筆すべきは蜜柑の流通である。紀州から江戸へ蜜柑を運ぶ「蜜柑船」は冬の風物詩で、紀伊国屋文左衛門が嵐の海を渡って巨利を得たという伝説は有名だ。冬場に甘い果物を手に入れることが、それほど大きな商機だったのである。

果物と料理の接点

料理人の視点で興味深いのは、江戸時代の果物が調味料的にも使われていた点だ。柚子は香り付けに欠かせず、梅は梅干しとして食卓の常備品だった。柿の渋は防腐剤として、蜜柑の皮は陳皮として漢方にも用いられた。果物を生食するだけでなく、加工して日常に取り込む知恵は、日本の食文化の奥深さを示している。

現代の料理でも、柑橘類の酸味や香りは和食に不可欠である。ポン酢の「ポン」はオランダ語の柑橘を意味し、江戸時代の蘭学を通じて入ってきた言葉だ。果物と調理の関係は、想像以上に深い。

おわりに

甘味が貴重だった時代、果物は特別な存在だった。品種改良と流通革命によって果物が日常化した現代からは想像しにくいが、一個の蜜柑に歓喜した時代の感覚を知ることで、食材への敬意を新たにできるのではないだろうか。