はじめに

桜の下で食事をする花見は、日本を代表する食文化の一つである。しかし、花見が庶民に開かれた行事になったのは比較的新しい。奈良時代には梅を愛で、平安時代に桜へと移行し、江戸時代にようやく大衆的な宴会文化として花開いた。花見と食の関係を追ってみよう。

貴族の花宴から武家の花見へ

奈良時代の花見は梅が主役で、中国文化の影響を強く受けた宮廷行事だった。桜が主役になるのは平安時代以降で、嵯峨天皇が812年に神泉苑で催した花宴が記録に残る最初の桜の花見とされる。

この時代の花見は和歌を詠む風雅な催しであり、食事は酒と肴という控えめなものだった。鎌倉、室町と時代が下るにつれ、武家社会でも花見が行われるようになり、豊臣秀吉の「醍醐の花見」は千三百人規模の大宴会として知られる。この時すでに各地の名物料理が持ち寄られ、花見は食の祭典としての性格を帯び始めていた。

江戸の花見弁当

花見が庶民のものとなったのは江戸時代、八代将軍吉宗が飛鳥山や隅田川堤に桜を植えたことが大きい。庶民は重箱に弁当を詰め、酒を携えて花見に繰り出した。

花見弁当の内容は家の経済力を示すものでもあった。卵焼き、かまぼこ、煮しめ、赤飯、稲荷寿司などが定番で、見た目の華やかさが重視された。料理人として注目したいのは、冷めても美味しい料理が選ばれている点だ。甘辛い味付け、酢を使った料理、しっかり火を通した煮物。屋外で時間をかけて食べることを前提とした、実に合理的な献立なのである。

花見団子の由来

花見に欠かせない三色団子は、豊臣秀吉の醍醐の花見に由来するという説がある。桃色は桜で春、白は雪で冬、緑は蓬で夏を表し、秋がないのは「飽きが来ない」にかけた洒落だとも言われる。真偽は定かではないが、こうした言葉遊びを食に込めるのは日本の食文化の特徴だ。

おわりに

花見の食文化は、宮廷の風雅から庶民の宴会へと広がる中で、日本独自の屋外食文化を形成した。冷めても美味しい弁当という知恵は、現代の行楽弁当にも脈々と受け継がれている。桜の下で重箱を開ける瞬間は、何百年も変わらない日本の春の喜びである。